中国で会社やってみた やってみないと わからないあるよ   国中好大

我、1960年代に東京以外の大都市で生まれ高校卒業を卒業した後当時にしては珍しくフリーターみたいに過ごしており、家族には大変迷惑をかけました。
21歳の時に更生し(笑)心機一転引越しをして、地方の金属加工工場に就職いたしました。
バブルの真っ最中で、業績はどんどん上がり給料も役職もどんどん上がり、それこそボーナス袋が立つ時代で調子に乗って結婚して普通に生活しておりました。
ところがバブル崩壊後業績は低迷し、ついにリストラをする時が来ました。
その時我は、部長かなんか幹部候補だったものですから、社長以下7名ほどの役員と一緒ににリストラ計画実行部隊として支給額の入った全社員の名簿をパソコンに入れて「製造部では、この人を切ったら…この人は必要…。営業部では…」という調子で人件費合計を目標額まで下げる、という作業を続けていました。その時たぶん1998年だったのかな?社長の給料が4800万円!!びっくりしました、リストラしないでお前の給料減らせば?
でリストラ計画はいよいよ実行(告知)段階に入りました。
当然告知なんて嫌な役は、社長はじめ役員のお仕事~と思っていたら「国中君面接をして告知を担当してください」「えっ!我が~!なぜ??」やりたくなっかたんだろうね~みんなっていうか我もやりたくねぇし、でもモーレツ社員でスーパーカーに乗りたかった我は、社長・役員に対して「任せてください!!」あ~ぁ 言っちゃった。

会議室で「今日、呼んだのは実は会社の業績が悪くて退職願いを書いていただきたいんですが…」わんわん泣き出す女子社員、怒りをあらわに「お前たち幹部の言うことを聞いてやってきたんだからお前らが先に辞めろ」と怒鳴り散らす役に立たないおっさん。飲んだ帰りに友達とラーメン屋に言ったら偶然居合わせた友達の友達が、「うちのお母こないだクビなってさぁ…」「そうなんだひでぇ会社があるもんだねぇ どこの会社?」「あの道を上って行った上のあの~なんて名前だっけ…」(?_?)「あ~多分お母さんクビにしたの俺だ…」「…無言ズズー…」
やっぱりみんなをクビにしておいて自分だけ会社に残るってのはダメだな、スパーカーにも乗りたいし、じゃ独立しよう!!
その後3期 若い子たちをクビにしたので「これやっといて」って言ってた仕事を自分でやらなきゃならない、ミスした社員を怒っていた身分なのに我がミスして怒られて、地獄の3年間でした。

スーパーカーブーム(死語かな)の世代なのでポルシェ フェラーリ カウンタックに憧れてました。いつか乗りたいなってね、ある時あれはいつだったか忘れたけど「チャージ」
ていう外車の雑誌があってスーパーカーでサーキットを楽しんでる人たちの特集があった号にこんな言葉が…
「実は多くの車好きのサラリーマンたちは、ポルシェフェラーリを夢見て、これを断念しマンションを死ぬまでローンで購入する。独立して何か商売を始めるか?いずれにせよ現状の打破が必要である。ポルシェにしたいフェラーリにしたい出来れば両方欲しい!!」
何年間もこの文章のコピーをデスクマットに挟んで仕事していた我はついに独立を決意「スーパーカーに乗るぞ」「おーっ」